初心忘るべからず。

稲毛利之助祭

 渋谷教会の皆様、新しい年が明けて如何お過ごしでしょうか。めっきり寒くなり、梅の花が待ち遠しい今日この頃です。皆様は新しいスタートを切り、そろそろ軌道に乗ってきたころでしょうか。
 さて、事の始めによく挨拶などで引き合いに出される言葉に「初心忘るべからず」というのがあります。これは能楽を大成させた世阿弥(1362〜1443)の『花鏡』という本の奥の段からの引用だそうです。
 この言葉は普通、「物事のやり始めの初々しい謙虚な気持ち、新鮮な志を忘れずに励め」と理解されていますが、これは誤解だそうです。
 世阿弥によると、そもそも「初心」とは、生涯にわたる芸能が定まる「初め」、すなわち芸能がある程度上達して自分なりの「型」が定まったときの気持ちを指すもので、物事のやり始めを意味しているのではないとの事。また、「初心」は人生の新たな節目ごとに遭遇するもので、世阿弥は三つの初心を挙げており、能楽師の一生は初心の連続であると述べています。
 身近な例を挙げてみると、例えば「欧米かっ!」――これは去年大変ウケたお笑い芸人の決め台詞だそうです。(二歳になる私の姪っ子もこれを真似しています。)しかし一般に芸人たちはここまで来るのにきっとたくさんの失敗や、未熟な芸を繰り返して、やっと自分の「型」を見出し、花を咲かせるのでしょう。このときの甘じょっぱい経験、自分の無様さの記憶と成功した喜び――この両義性こそ「初心」の特徴といえるのではないでしょうか。そして一番怖いのは、一時の成功に慢心して自分の無様だった芸を忘れてしまうことで、それで芸は終わりになってしまうかもしれません。
 それにしても成功とは不思議な体験です。あえて言えば、「上からの体験」と言えます。人は八方塞であっても、この「成功体験」を思い出して希望を持つ事が出来ます。成功は自分の無様さと直面する場、「未熟な過去の自分の記憶」に咲いた花のようなものです。「恵みの体験」に近いものかもしれません。そして「初心忘るべからず」とは、この「未熟な過去の自分の記憶に咲いた恵みの花」を生涯にわたって心に刻み続けよ、ということでしょう。
 ここに至って私には、神の民イスラエル(教会)の歴史が思い浮かんでまいります。あのエジプトの惨めな奴隷状態からの恵みによる解放――「出エジプト」こそイスラエルにとっての「初心」でありましょう。この「初心」を忘れたとき、すなわちダヴィデ王朝以降の繁栄の中でイスラエルは堕落していきました。
 預言者たちは「出エジプトの出来事を忘れるな!」つまり「初心忘るべからず」と叫びました。またこの「初心」は一度きりではなく、節目節目に繰り返し遭遇するものでした。イスラエルにとって「バビロン捕囚からの帰還」が第二の「初心」でしょう。
 出エジプト、バビロン捕囚からの帰還…最後の「初心」は終末の出来事の中にあるのかもしれません。
 私たちキリスト者の生涯にも同じことが言えるでしょう。私たちはミサにおいてイスラエルによる新しい「出エジプト」新しい過越を記念しています。それは自分の罪の惨めさに直面し、同時にそれ以上に神様の恵みの業を思い起こし、生涯にわたって心に刻み続けさせて頂くことでしょう。それは「過去の自分に咲いた花」、恵みによる「新しい自分」を生き続けることにほかなりません。
 皆様にとって「出エジプト」とは何ですか?
「初心」とは具体的には何でしょうか?
 お互いに「初心」を忘れずに成長させていただきましょう。「信仰生活という舞」の在り様を追い求めましょう。