聖ドミニコについて
ヘロニモ神父

聖ドミニコは、だれですか?
 聖ドミニコは、ドミニコ会以外ではあまり知られていないそうです。聖ドミニコの後継者のヨルダノは修道会員に、彼らが聖ドミニコの聖なる生活を信者たちに知らせなかったことを注意しました。彼らが知らせなかった理由は、大勢の人が聖人を礼拝するために訪れて修道院の沈黙や清貧の雰囲気は壊されると思ったからです。

彼のスペイン起源
 ドミニコの生涯は、その時代のように厳しいものでした。キリスト教徒がアラブ人からのスペイン国土回復運動を起こしていた時代に、彼はスペインで生まれました。ドミニコの故郷は、スペインワインで有名なドゥエロ川の岸辺の地方、アラブ人とスペイン人とが居住する境界線にあります。その時代は教会の衰退期でした。
 ドミニコの父親のフェリス・デ・グスマンは、中世の騎士で王の戦士でした。しかし、ドミニコは、剣ではなく「み言葉」を持って主の騎士になろうと思いました。父親からいくつかの美徳 ― 気力、勇気、大胆さ、困難への抵抗、名誉心、人間の言葉への信頼など ― を受け継いでいました。約束した言葉は実行する、と思われていた時代です。
 母親のホアナ・デ・アサは、カスティリャの信心深く憐れみ深い人で、後に福者として認められた人です。彼女は厚い信仰の持ち主、祈りの人であり、家庭のカテケシスの専門家でした。貧しい人が自分の家の前を通るのを見ると何かしないはいられない人でした。貧しい人を助けるために、何回もワインセラーを空にしました。ドミニコは、母親から厚い信仰と、家庭の信心行、思いやりのある共感の精神を受け継いでいました。
 パレンシアでの神学校時代にひどい飢饉が起こった時のことです。ドミニコは、「人々が飢えて死んでいくときに死んだ皮の上(羊皮紙の本)で勉強することはできない」と言って、持っていた本を売りはらい、そのお金で人を助けました。ドミニコは他者の苦しみや必要性に無関心ではいられない人でした。
 オスマのディエゴ司教座で参事会員になり、沈黙、黙想、観想、祈り、共同典礼に励み13年間を過ごしました。その生活のおかげで、彼は「祈りの人」になりました。「彼ほど、夜中は神様と近く親しみ、昼間は人々と交わり親しむ人はなかった」と言われていました。彼の祈りは彼の司牧活動の原動力となり、彼の司牧活動は彼の祈りに多くの具体的な課題を与えたのです。

ヨーロッパを旅して 多くの人に出会ったドミニコ
 ディエゴ司教と共にデンマークへ旅しながら、ドミニコはよく学びました。南フランスでカタリ派とアルビ派の異端者に出会い驚きました。彼らは人間の体や物質、結婚生活や性別を軽視し、教会や聖職者や秘跡を非常に批判していました。
 フランスに着いた彼は、異端者であった宿の主人と対話しながら最初の夜を過ごしました。その時に気づいたことがありました。それは、宗教的な無知があるから国民は悲しんでいるのだから、異端者を剣によってではなく、み言葉、対話 、福音、説教で戦えばよいということです。その時から、彼は自分のすべてを説教者の生活、つまり宣教に専念しました。
 その後、ドミニコはデンマークでキリストの福音を全く知らない人に出会い、再び彼らの無知に驚きました。「どのようにしたら彼らは救われるだろうか」と自問した彼は、人間を生かす「救いの恵み」を説教する者になろうと堅く心に決めました。キリストを知らない人々の抵抗と反対に遭いながらも、ドミニコは命をかけて説教者になる決心をしました。そしてドミニコは宣教師のしるしである「ひげ」をのばし、福音を知らせるために血を流すことを望みました。
 ドミニコがヨーロッパで見出したことは、教会に美徳と悪徳、偉大さと悲惨さ、恩寵と罪が同時に存在したことです。儀式と習慣を遵守するだけの堕落した教会に欠けていたのは、福音を説教することでした。ドミニコはラテラノ公会議(1215年)で、「忠実にみ言葉のパンを共有できる人がだれもいないこと」に不満を述べました。
 ヨーロッパの現実を非常にはっきり見たドミニコは、「キリスト教の共同体を造るために何よりも必要なことは福音の説教である」と分かり生涯を説教者として献げる決心をしましたが、他の仲間たちが結合することを望み、時を待ちました。
 ヨーロッパの教会が富や権力の力に支配され、謙遜や貧しさや福音の教えは見られない状態でした。説教で述べ伝えられた真理のメッセージは、悪い生き方や証によって破壊されていたので、ドミニコは、「説教や教えを人々に信じてもらいたいなら、謙遜と清貧の生活をしなさい」と教えました。
 その時代の貧しい人は物乞いをしていました。聖ドミニコは、聖フランシコと同じように物乞いになりました。異端者は貧しい生活をしていたから、人々は彼らの説教を信じました。ドミニコは、「釘を抜くときは、別の釘を打って抜きなさい」というスペインの諺を思い起こし、異端者のように貧しく生活することを選んだのです。
 教会では多くの人は無知で、説教も教えもなかったので、ドミニコはこの問題を解決するためにドミニコ会を創設しました。彼の仲間になった若者16人は、すぐにヨーロッパの大学に神学の勉強に送られました。

非常に人間らしい人
 ドミニコは聖者に上げられましたが、実に人間らしい人でした。実際、その人間性から彼の聖性が生じたと思います。彼の性格はコントラストからなる非常に豊かな人格です。力強さと優しさ、強い意志力と思いやりの心など、彼には男女両方の特徴が見られます。
 ドミニコ会創立の翌年に、彼はヨーロッパ中に修道士16人全員を送り出しました。皆からそれは余りにも無謀なことだと言われましたが、ドミニコは「私に反対しないでほしい。自分でもやっていることはよく分かっている」と答えました。彼は頑固だったのでしょうか。歴史によると、彼の思い切った決断は正しかったのです。ドミニコには、見分ける心と強い意志があると思われました。
 意志の強さは父親ゆずりのものです。中世の騎士は、戦いの精神、頑強さ、努力、名誉心、忠誠心、気力、勇気など非常に強い意志が求められていました。厳しい故郷の気候も彼の性格に影響を与え、国土回復運動にもそのような強い人間が必要とされていました。
 彼の強い意志は何度も試されました。たとえば勉学の時代、異端者の敵意に遭遇したとき、修道会の創立時とその組織を築いたとき、宣教のとき、物乞いで生活していたときは、試練のときでした。ときでした。
 「私に反対しないでほしい。自分でもやっていることはよく分かっている。」「権威のある者にならないよう、また、司教座に上げられないように夜中に杖を持って逃げていく」と言ったドミニコは頑固なのか無謀なのか。ドミニコは慎重で思慮深い人でした。彼の後継者ヨルダノは言いました。「聖霊が彼に起ころうとする事柄を啓示したので、彼は、前もってそれを確かなものとして知っていたように見えた」と。
 それでもドミニコの性格には固さとか不寛容などは何もありませんでした。逆に、彼は、母親ゆずりの優しさ、感受性、同情心にあふれていました。これらの美徳は中世の騎士ドミニコの特長を柔らげていたようです。
 ドミニコは他者の苦しみや喜びを共感していました。パレンシアの貧しい人、フランスの異端者、苦難にある兄弟修道士をあわれんで心を痛めただけではなく、すぐに行動をとりました。自分の本を売り、夜中でも対話をし、捕慮者を助けるための交換に自分自身を提供し、ボローニャの広場で学生と話し、何かせずにはいられなかったのです。彼は非常に友好的で温かい人でした。
 彼は様々な人との友情を保ちました。たとえば学生、修道士、シスター、司教たち、教皇様、貴族の人とも友情関係をもっていたのです。ドミニコ会のシスターへのお土産にスペインから木のスプーンをもってきたり、宣教の成功を祝って彼女たちとワインで乾杯したのです。彼は人間らしい聖人でした。
 彼の友情は彼に喜びと自由を与えました。彼は楽観的な楽しい人で、試練や非難の最中でもバランスを保つことのできる成熟した人でした。冷静な人でしたが、その冷静さは人の苦しみに心を動かされた時だけは変わりました。「すべての人は彼の心に入り、彼は皆を愛し、皆に愛された」と言われています。

福音に従って生きた人
 彼の名前Dominicus「主の者」は、彼の生涯を表しています。いつでもどこでも主の福音を学び、主の福音を生きた人でした。
 彼の福音的な生活は、彼の人間性に基づいていました。人間としての彼のよい人柄とクリスチャンとしての愛を、また人間としての彼の友情とクリスチャンとしての愛徳を区別することは容易ではないのです。
 苦しむ人々との関わりはドミニコに多くを教え、それによって彼は福音のイエスを理解し、イエスの福音をよく学びました。彼は自分の涙や兄弟の涙によって人間らしく生き、またイエスの弟子のように生きることを学びました。他者のために泣くことができない多くの人々のことを、彼は絶対に理解できませんでした。彼の時代は病気、戦争、災いのときでした。彼の福音的な態度は、この苦しみの多い現実との関わりから生じたのです。

祈りの人
 ドミニコは、沈黙と祈り、観想と黙想を深く体験した人です。祈りの中でドミニコは出会った人々の苦しむ歴史を思い巡らし、毎日生じてくる疑問を見分けたのでしょう。
 ドミニコは司祭である伯父から、家庭では母親から、オスマ修道院ではその生活の中で祈りについて学び、旅しながら祈り、「祈りの人」になりました。「彼ほど、夜中は神様と近く親しみ、昼間は人々と交わり親しむ人はなかった」と言われていたドミニコは、共同体と一緒に、一人で、家で、昼も夜も、旅しながら、絶えず祈りました。時には嘆きと涙をもって、祈りながらすすり泣くこともありました。
 フラ・アンジェリコの映画の中の、十字架上のイエスを抱いて祈るドミニコの姿は彼の精神をよく表しています。人々の悲しみを背負って彼らのために執り成す聖ドミニコです。「かわいそうな罪人はどうなっているだろう」と彼は祈り続けました。

福音のために貧しくなった人
 中世の単純な貧しい人々は福音を生きる教会を望んでいました。権威と富は教会の姿を暗くしていました。聖フランシスコと聖ドミニコは彼らの憧れに応えました。
 貧しい人だけが、福音とその幸い、兄弟愛と主の摂理に信頼することを理解できます。説教者がキリストのように貧しくなければ、だれも福音の言葉を信じることはできないのです。ドミニコはイエスに従い、イエスを宣教するために貧しい人になり、物乞いの生活を選びました。
 貧しい生活をするために様々な放棄をしました。家族も遺産もお金も放棄し、母国を離れて旅人の生活、物乞いをして生き、豊かさを放棄したからこそ自由と希望と喜びをもって生きることができたのです。
 物質の豊かさを悪いと思って放棄したわけではありません。宣教のため、人々を助けるためでした。人々が宣教のメッセージを信じられるよう彼は貧しい生活をしました。言葉と行いをもって説教のメッセージを証しました。福音的な貧しい生活こそ彼の推薦状でした。

神と人々の前に謙遜な人
 ドミニコはコンプレックスゆえにではなく、人間と同じようになられたキリストの模範に倣い「へりくだる者」になりました。ドミニコは自分の限界を知っていたので、神の代わりに人を裁くことはなく、人の上に立つために権威と威厳を求めませんでした。
 彼の謙遜は多様な形でみられます。貧しい人になることを選んだ彼は、言葉と生き方の証によって説教者の生活をするために、三回も司教に選ばれたのにそれを断り、自分の美徳や奇跡を知られる度に逃げ、ひざまずいて人から物をもらって感謝し、司教や教皇の使いの後ろを一歩下って歩き、敵の辱めにも耐えたのです。成功、失敗、苦難の時も謙遜な態度は変わりませんでした。ドミニコは行動をもって、真理を隠さず語り、謙遜に生きたのです。

善い人柄、憐れみ、思いやりの人
 これは聖ドミニコの特徴です。これによって「福音の人」となるのです。死ぬ前に兄弟修道士に遺言を残しました。「これらのものを、あなたたちは遺産としてもらう権利があります。愛をもち、謙遜になり、自発的に貧しくなりなさい」。彼はこれらの宝を兄弟に贈りました。
 ドミニコは厚い信仰の持ち主で、子供の時から人々の苦しみへの同情心があることで有名でした。施しと愛の業の豊かな母親の足元で、また、人々のために命を献げた十字架のキリストの足元でそれを学びました。彼はしばしば、「われらの救い主を考えよう」と仲間を誘っています。
 ドミニコはキリストに倣って生きてきたのです。彼の知恵に驚いた学生に、「子よ、私は何よりも愛の本から勉強します。これはすべてを教えているからです」と言ったのです。愛の内に生きることは福音を学ぶことでした。
 彼が十字架のキリストの足元で学んだ愛を生き、苦しみの十字架を負っている人々にその愛を反映します。飢えた人、囚われ人、無知な人、異端者、罪人、悩む人に愛を注ぐのです。牧者のいない羊をみて哀れに思うイエスに倣い、その慈しみから、ドミニコの説教も、奇跡も、癒しも、赦しも生まれてくるのです。
 ドミニコは苦しむ人々をあわれに思い、心を打たれ、行動します。たとえば貧しい人を慈しんで自分の本を売ります。奴隷の代りに自らを提供し、異端者を思い、彼らに命の福音を知らせるために命をかけました。罪人をあわれんで彼らのために祈りながら助けます。
 ドミニコの優しさは兄弟との生活に明らかです。友好的で温かい関わりをもちます。物事をはっきり話し、相手が痛むことなく受け入れやすいときには、厳しいことも教えます。彼は人の苦しみと弱さを理解できるので上手に忠告をします。
 ドミニコは寂しい人や苦しみ悩む人を慰め、信仰の弱い人を支え、希望を与える人です。彼の心は不幸な人たちのよりどころです。ドミニコはキリストから次の言葉を学びました「友のために命を捨てる、これにまさる大きな愛はない」。ドミニコは、殉教をあこがれるまでに愛しました。

とりわけ 使徒的な人
 ドミニコは人生を宣教のために奉献しました。彼は修道院に閉じこもった修道士ではなく説教者でした。初めは「半分牧者、半分修道士」になろうと考えたかもしれません。
 フランスを旅した最初の夜に、異端者である宿の主人と対話したのですが、翌朝、主人は彼が馬に乗るときに手を貸し助けてくれました。その夜のことからドミニコは、人々が異端の間違った信仰の被害を受けていることに気づきました。同時に、み言葉の力について悟りました。
 初めは様々な問題と疲れ、また異端者の反抗と危険に一人で苦労しましたが、やめませんでした。後にトゥールーズで16人の仲間と一緒になり、ドミニコ会は生まれました。
 ドミニコの宣教師としての召命は、苦しみ悩む人々との関りから生まれました。異端者の間違いは人々の心も体も苦しめることが分かり、彼は真理を伝えることに生涯を献げたのです。何よりも人の救いを願い、心も体も癒されるように働きます。そのためにドミニコはイエスがもたらした命の福音を皆に知らせました。
 ドミニコの宣教師としての召命を予見するいくつかの話があったそうです。彼の母親は夢の中で、世界を照らす星を彼の額に見ました。また別の時には、世界を照らす松明を持つ犬の夢も見ました。ドミニコ自身が見た夢もありました。ペトロとパウロが彼に現れ、ペトロは杖をパウロは聖書をドミニコに手渡し、「行って説教しなさい。神はこの役務のためにあなたを選ばれたのだから」と言ったのです。ドミニコは救いをもたらす福音を説教する謙遜な奉仕者です。
 ドミニコは暗い言葉と大声で脅かす説教をすることなく、弟子たちのように、金銀を持たずに、み言葉の力と自分の生き方でキリストの恵みを証しました。

ついに ドミニコ会を創設
 ドミニコの説教の役務は、最初は16人の仲間によってドミニコ会の基礎が築かれました。ドミニコが死んでからも彼らは説教の務めを続け、シスターも信者もドミニコ会の家族に加えられ、宣教を今日まで励んでいます。
 ドミニコ会の目的は、キリストによる人々の救いを伝えることです。救いは、信仰によるキリストへの応答から始まり、信仰は宣教から、宣教はイエスの福音からです。人間は福音以外に真の幸せを見つけることはできません。
 説教の役務を養うために、ドミニコは次のような教育を考えました。祈りと観想の体験、絶えず宗教真理を勉学すること、貧しい人と連帯する福音的な貧しい生活、そして共同生活。これに基づきドミニコ会の説教のカリスマはあるのです。
 死ぬ前にドミニコは、兄弟の仲間たちに「死んでから、私はもっとあなたたちの役に立つでしょう」と約束しました。この言葉を信頼して、多くの兄弟姉妹は聖ドミニコの記念をします。聖トマス・アクイナス、大聖アルベルト、シエナの聖カタリナ、聖ピオ5世、福者フラ・アンジェリコ、エハート、リマの聖ロサ、ポレスの聖マルチン、聖トマス西、長崎のマグダレナ、その他多くの人が、キリストのもたらした救いを広げるように宣教をしながら今日までドミニコ会で幸せに生きてきました。