洗礼の恵みとそのコミットメント
ヘロニモ神父

 1月13日と20日の日曜日のごミサの朗読は、イエスの洗礼を語っていましたので、今日は信者の洗礼について考えてみましょう。

  1. キリスト教の洗礼を受けることは、まじめな決意であり、それは、「自分の生活と将来がキリストに結ばれる」ことです。これは一番大切なことです。この恵みは、信仰とコミットメントを要求します。キリストと関わりを持ちキリストに従って生きることを選んだ人は、自分の人生が必ず幸せになると共に十字架の苦しみが伴うことを前もって分かっています。

  2. 洗礼を受ける求道者は、「天の父は、誰よりも自分を愛してくださっている」ことを体験します。神様は愛情深いお父さんで、一人ひとりに向かって語ってくださいます。「あなたはわたしの愛する子わたしの心に適う者」と。キリスト信者は、人間の味方であるこの神様と共に生きることによって幸せになり、自分の命も他の人の命もすべての命を守ることができます。神様ご自身がそのパワーをくださいます。偽りの神のイメージに気をつけましょう。たとえば、暴君のような神、ご利益信仰の神、冷たい神、間違いや違反を目ざとく指摘する警察官のような神、裁判官のような神。もし神のイメージがこのようなものだったら、それは、偽りの神であり、信者に害を与えます。

  3. キリスト教の洗礼は、洗礼者ヨハネの水の洗礼と違い、「キリストの霊(聖霊)」を受ける洗礼です。聖霊は、洗礼によってキリストと結ばれた人を聖化し、聖霊のカリスマでその人を満たし、信仰と愛と希望の力で歩むように力づけてくださるのです。
     残念ながら、多くの信者は聖霊の素晴らしさと力を体験したことがないので、そのことをよく知りません。この聖霊の恵みによって、私たちは、イエスとその福音を実感することができるのです。聖霊の恵みは私たちを命、愛、喜びで満たし、まわりの人と深い友情で結ばれた生活をするよう導いてくださいます。聖霊の恵みの下で生きることによって、愛のエネルギーが与えられ、悪の力に対して命を守るために戦うことができるのです。また、聖霊はイエスの最も深いところで親しく一致しているのです。

  4. キリスト教の洗礼は、「悪と罪の力が自分の心の中にも、家族の中にも、社会の中にも働いていることを認める」ことから始まります。これを認めないなら、天からの救いを求めないでしょう。そして、世のすべての人のために十字架で命を献げたキリストの死は空しいことになります。洗礼によって、求道者は、悪と死の力に対して、赦しと解放の恵みを与えられます。そして、その恵みを、私たちは人に与えることができるのです。私たちの人生の終わりには、悪の力よりもキリストがもたらした恵みの力が勝利します。

  5. キリスト教の洗礼によって、信者は「キリストを証しするために喜びとパワーを受けます」。キリストの素晴らしい恵みを知った私たちが、その恵みを隠してひとり占めすることはフェアではありません。その恵みの証をしなかったら信仰は弱くなります。努力だけで信仰の道を歩むことはできません。キリストを証しするというチャレンジによって、信仰は生き生きとするばかりでなく強くなるのです。
     ノンクリスチャンにとって信者の証を聞くことは、キリストと教会を知る確かな招きになります。これは、うまい宗教的な言葉やプレッシャーによって招くのではなく、相手を尊重しながら、キリストに従って生活する喜びと誇りをもって恵みを語ることによるのです。神を認めない現代社会では、信仰の証をすることは最も必要です。神の愛と信仰を言葉で伝えるよりも自分の体験を証しすることが大切です。今日の教会の悲しい状況は、信者たちが自分の証をしないこと、また教会に来るようにと人々を招かないことです。「あなたたちが証をしなければ、わたしは存在しない」。これは神様がイスラエルに語っている「ユダヤ教のことわざ」ですが、カトリック教会にも同じことが言えます。人は信者を通して神様に出会うのです。

  6. キリスト教の信者の集いは、「神の大きな愛を悟(さと)っている罪人の集まり」で あり、神に呼ばれた教会です。教会はキリストの福音に聴き従い、キリス トを証しし、すべての人がその教会の恵みに与れるようすべての人を中に 招き入れます。すべての信者は罪びととして、常に「回心しなさい」とい う招きに応えなければなりません。この回心は、自分が「立派な人になろ う」と思うのではなく、「無力な人間だ」と自覚して、神様に全面的に頼ることです。

  7. キリスト信者は、受けた洗礼によって、キリストの使命を果たすよう求められています。すなわち、「優しい羊のように」苦しむ人と連帯して、その苦しみを共に担い、愛の力によって、人間の支配と執着の力から人びとを解放するようになります。そのようにして、「神の僕(しもべ)の使命」をキリストと共に果たすのです。

1月の福音で教えられた洗礼の恵みは単純ですが、深いものですから、大切に心に留めてください。それは、司祭にもシスターにも一般の信者にも、すべての信仰者に当てはまることです。キリスト信者は完璧な人間でもスーパマンでもありません。キリスト信者は弱い人間でありながら、今、生きておられるイエスに出会い、イエスに頼ることによって人間らしく強く生きる幸せな人びとです。